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上野校長のお仕事日記

上野昂志(うえの・こうし)
評論家。 本校校長。
著書に『鈴木清順全映画』『肉体の時代』など。

上野校長のお仕事日記
第02回 (2008/12/24)
第01回 (2008/08/19)

上野昂志の読書日記
第13回 (2007/04/16)
第12回 (2007/04/16)

第11回 (2007/01/17)
第10回 (2006/10/26)
第09回 (2006/06/04)
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第07回 (2005/05/07)
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第05回 (2004/12/25)
第04回 (2004/09/22)
第03回 (2004/08/31)
第02回 (2004/08/05)
第01回 (2004/07/21)


上野校長のお仕事日記【2】(2008年秋〜冬)   (2008/12/24)
 気がつけば、2008年も残すところ1週間になってしまいましたね。イヤ、早いもので、なんて言っても、もう遅いけれど。
  今年はとくに、中国から来たアニメの研修生が、夏の間もずーっとお勉強に励んでいたので、こちらもおちおち休んでいられなくて、夏休みはほとんどなし! の状態だったから、なおさら、そう感じるのかもしれない。
  その研修が終わったのが、10月17日で、翌日が、東京国際映画祭のオープニングだった。わたしは、昨年に続いて今年も、同映画祭「アジアの風」部門の審査委員長を務めたので、それから9日間は、ほとんど、それに時間をとられてしまった。
  対象作品は20本だが、審査の日程の関係もあって、上映は詰まっている。だから初日は、3本見ただけだが、翌日と、その次の日は、5本ずつ見るというようなハードスケジュールになる。むろん、それには、審査対象以外も、空いた時間に見たい映画を見たりするから、1日平均、4,5本ということになってしまうんだけどね。いずれにせよ、朝の11時頃から夜の11時頃までは、食事をしたり、お茶を飲んだりする以外は、映画を見ているということになる。
  でも、今年も、中国や韓国など東アジアから、マレーシア、タイなど南アジア、映画大国インドはもちろん、トルコやレバノンなどの中東までも含むアジアの新しい映画を見られるのは、楽しかった。
  逆に、大賞として、そのうちの1本を選ぶのが難しいんだけどね。今年は、香港映画祭ディレクターのジェイコブ・ウォンと、日本の映画監督、風間志織さんとわたしの3人が審査委員だったんだけど、最初にそれぞれが選んだ6,7本にほとんど違いがなかったから、あとは、ワインなど飲みながらの作品談義で夜中まで盛り上がった。

 ところで、この秋が慌ただしかったのは、いつもは空けている金曜日の午前を、半期だけとはいえ、都内の某大学で「映像と文学」などという講座をやる羽目になったからもある。といっても、映像表現と言語表現の違いを追求するというような難しいことではなく、小説と映画を対照させながら、その違いを考えていくという程度のことなのだが・・。 始めてみて、いきなり面食らってしまったのである。
  というのは、わたしは、わかりやすいように、森鴎外の『雁』と豊田四郎の映画『雁』、松本清張の『張込み』と、野村芳太郎のその映画化作品という具合に、原作小説と映画作品をセットにしてやっていったのだ。どれも、きわめてポピュラーな小説と映画の組合せである。だから、小説は前もって読んできて、と学生に言っておいたのだが・・誰も読んでこないのである。まあ、『雁』は、いささか長いかもしれないが、『張込み』などは、電車に乗っている間の30分ぐらいで読めるだろうし、三島由紀夫の『剣』にしても1時間もあれば読める。でも、読んでこないのだ。
  名前を言えば誰でも知っているような大学の3年生と4年生が対象なのに、である。仕方なく、わたしとしては小説の内容紹介からやる羽目になったのだが、これには徒労感が伴う。と同時に、近頃の大学生には、小説を読むという習慣がないのか、とも思えてくる。だったら、ジャナ専の文芸創作科に来なさい、といいたくなるのだが(笑)、これは案外、文部科学省の国語軽視の教育指導がもたらした結果かもしれない。
 
  文部科学省は、悪評高かった「ゆとり教育」を改めたといい、実際、中学の英語や数学は、それまでの週3時間を、4時間に伸ばした。ところが、国語に関しては、週3時間のままなのだ。そのうえ、これは今日の新聞に出ていたのだが、高校での英語の授業は、すべて英語で進めるのが望ましいなどといっている。愚かしさも、ここに極まれり、というしかない。
  英語がグローバリズムの進展とともに、「世界語」あるいは「普遍語」になったというのは事実である。そのなかで、英語で自分の考えを伝えたり、書いたりする必要が増すのも当然である。だが、日常会話を英語でするということと、世界に向けて自分の考えを英語で表現するということはイコールではない。前者で言えば、フィリピンやシンガポールの人のほうが、日本人よりはるかに上手に英語を使っている。それは、かれらの植民地体験を含めての生活の必要からきたものだ。それと、外交交渉や学界での発表などで、英語で正しく自分の意見や考えを表明するということは、まったく別である。英語の授業を、すべて英語でなどというのは、要するに、日本人をシンガポールやフィリピンの人たちと同レベルになるよう教育しろということでしかない(シンガポールやフィリピンの人たちが日本人より劣っているという意味ではない。念のため)。彼らを見れば明らかなように、日常会話なら、慣れさえすれば、乏しい語彙でも十分に用は足りる。だが、それ以上のことを、きちんと相手に伝え、議論するというのは、それとは次元の違うことだ。
  このあたりのことは、つい最近刊行され、一部で評判になっている水村美苗さんの『日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で』(筑摩書房)を読んでもらいたい。エッセイと評論の中間のスタイルで書かれたこの本は、英語が「普遍語」になった時代を正面から見据えつつ、日本語が国語として成立したプロセス、そしてそのなかから日本近代文学が生まれた、ある意味では奇跡のような過程(シンガポールやフィリピンで、近代文学が生まれたか!)を丹念に辿りつつ、いま何をすべきかということを具体的に提言しているのだ。アメリカで教育を受けた彼女は、英語教育のあり方についても提言しているのだが、それ以上に情熱を込めて言っているのは、国語教育のなかで、まず、漱石をはじめとする近代小説を、きちんと読ませろ、ということである。しかし、いまの中学校の国語教科書から、鴎外、一葉はおろか、漱石すら外したのは、文部科学省の国語軽視に迎合した教科書会社である。大学生が、鴎外の『雁』はおろか、松本清張や三島由紀夫すら読もうとしないのも、むべなるかな、というべきか。

 お仕事の話に戻ろう。大島渚関係で、二つお仕事があった。一つは、大島渚の著作集が、この秋から刊行され始め、その書評を東京新聞から頼まれたことであり、もう一つは、大島の創造社時代の映画のDVDボックスが、紀伊国屋から出るのに際して、その総合的な解説を頼まれたことである。と、ここまで書いて思うのは、君は大島渚を知っているか? ということである。
  大島渚は、松竹で助監督身分のまま、1959年に『愛と希望の街』で監督デビューし、翌60年、『青春残酷物語』『太陽の墓場』『日本の夜と霧』の3本を立てつづけに発表し、『ろくでなし』でデビューした吉田喜重らとともに、当時の映画ジャーナリズムから「松竹ヌーベルバーグ」として喧伝された監督である。そして、松竹から飛び出したあとも、60年代から80年代にかけて、常に、彼が次に何を撮るかが多大の関心を持って注目された監督である。
  ただ、残念なことに、彼は病に倒れ、1999年の『御法度』以後、作品がない。そのために、いまや若い人たちの間では、なかば忘れられた監督になっているのかもしれない。しかし、この秋から、映画監督としては滅多にない著作集が刊行され、創造社時代の作品がDVDボックスとして出ることで、改めて、大島渚をどう見るかが問われることになるだろう。
  実際、著作集第1巻に収められた彼の学生時代を回顧した文章などは、いまの若い人たちにぜひ読んでもらいたいと思う。
・・といいながら、お決まりの書評やら、「週刊昭和」のあれこれの原稿やら、その他、何やら得体の知れぬものに追われ追われするうちに、夏のうちに片付けなければいけなかった、三省堂の『日本映画作品事典』の大島渚の項を、いまだ完成していないわたくしでありました。イヤ、終わっていないのは、それだけでないのですが、この年の瀬に、いまさら思い出すのさえ怖ろしく、あとはただひたすら、百八つの鐘が鳴るのが待ち遠しい・・。
  という次第で、皆さま、どうぞ良いお年を!

 

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