特別企画2005
ボウリング・プロテスト奮闘記・目次

アメフト審判記・目次



ボウリング・プロテスト奮闘記

正田晃也のボウリングライフ(4)プロテスト奮闘記B


 ―1次試験2日目午後―

さて、あきらめずに頑張ろうと心に誓ったものの、どうやってこのレーンを対処しようか。ここから足切りギリギリのラインを超えるには午後の6ゲームで200アベレージ(以下アベ)を打たねばならず、午前中とは違う作戦で戦わなくてはならないと思いました。

 午後の練習スタート。午前中と同じコースを投げてもやはり、うまくいきません。どうしようかと考えている中、ふと隣のレーンを見みてみると、ボールをレーン外側に出さず、真ん中をまっすぐ投げてストライクを連発している人がいました。「これだ!」私はすぐマネをして投げてみました。するとボールが素直に転がり、ストライクコースを完璧に捉え始めたのです。ただ少し外側に流しすぎると曲がってしまうため、持参したボール中、最も曲がりにくいものを使うことにしました。

 これが功を奏したか、午後の最初のゲーム(第10ゲーム)。240点を叩き出しました。実は、このようにボールを外側にふくらませずに攻める投げ方(ボウラーの間では『しぼる』と呼びます)は、この時点では知らなかったのです。ボールはある一定の場所(例えばレーンの全長の3分の2あたり)まで行けば同じように曲がると思っていたので、内側と外側で曲がり方がこれほどまで違うというのを初めて知ったのです。いまとなれば、そんなことも知らずに投げていたのを恥ずかしく思いますが…。さて、この「しぼる投法」で息を吹き返したものの、如何せん初めての投法ですからコントロールミスが多少目立ちました。しかし、不思議なことにある程度のミスならポケットをはずしませんでした。前回のコラムでも書きましたが、良い流れが来ている時は多少のミスがあってもうまくいくものです。みんなの期待を乗せて、その後も200〜220点の安定したスコアを叩き、結局二日間のトータルを188アベまで伸ばし、二日目での足切りをクリアできました。絶望的な状況から救ってくれたのは、「しぼる投法」を教えてくれた隣の人(勝手にマネをしただけですが)と、メールをくれた友人のおかげと今でも思っています。


 ―1次試験三日目―

 会場はジャナ専と同じく高田馬場にあるシチズンボウルでした。この会場は、昨年従兄弟の宮田プロが受験していたときに応援に来た思い出の場所です。プロテスト一週間前、全ての会場で練習をしましたが、このシチズンボウルが勝負レーンになると決めていました。というのも、その直前練習では持ってきていませんでしたが、自分の持っている「V2クリーン」というボールでいつも通りに投げれば絶対に爆発的スコアを連発出来ると確信していました。このボールはあまり曲がらなくて扱いやすいものです。練習でさっそく「V2クリーン」を投げてみたところ、ピンが面白いように良く飛んでくれました。とはいえ、二日目までのスコアでは合格にはまだ程遠く、残りの二日で202アベ打たなければなりません。

 この日ほど一つのことに集中したことはなかったというほど、「絶対に打つ」という思いしか頭にありませんでした。ところが、気持ちが高まりすぎて初日、二日目よりも悪いスタートになってしまいました。しかし、焦りは全くありませんでした。前日までと違い、そのゲームはストライクが全くでなかったわけではなく、スペアーをミスして自滅したもので、次から気をつければいいと冷静になることができたからです。それから、私の快進撃が始まりました。200〜250点のハイスコアラッシュ。私の記憶が確かなら、この日は200点を切ったゲームが15ゲーム中4回しかありませんでした。ただ、この日全てがうまくいったわけではありません。それは第14ゲーム目に急におとずれました。このゲームで通算44ゲーム目です。3日間でこれほどボウリングをした経験はもちろん無く、その上極度の緊張とこの日に注がれた集中力で肉体的、精神的疲労が一気にのしかかってきたのです。足をふらつかせながら投げた結果は160点。集中力が切れました。ふと周りを見ると、一緒のレーンで投げた人は指から出血していました。隣の人はフォームがバラバラになっていました。ここまで来ると、もはや体力勝負です。「みんなが応援してくれているんだ。ここで投げきった者が合格できるんだ」。その思いだけで最終ゲームを230点で投げきりました。最終ゲーム終了後、スコアが張り出されました。見ると、合格ラインを一気に超えて通算197アベまで伸ばし、9位に浮上していました。ちなみに、この日のみのスコアは214アベで2位でした。思い描いていた以上の作戦大成功です。その後は友人の女の子にメールをした以外に何をしたのかあまり覚えていません。それくらい疲労に押しつぶされていました。ただ、純粋に良いスコアを打てたのは嬉しかったけれど、やっと197アベに乗せただけで、明日の最終日は190アベ以上打たないと不合格になってしまいます。浮かれてはいられませんでした。

 次回に続く

 プロテスト奮闘記は次回で終了します。

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〔2005/11/22更新〕

(文 正田晃也)

正田晃也のボウリングライフ(3)プロテスト奮闘記A


 プロテストの受験を考えたのは、リーグのアベレージ(以下アベ)が210を超えた昨年の11月くらいです。04年の春から約半年ボウリングをやってきて、この頃、周りから「プロになるの」と、頻繁に聞かれるようになりました。それまでは物書きを目指していた身であったので、プロになるなどまったく考えていませんでした。しかし、この3月でボウリング場の仕事を辞めようと考えていたし、一年間ボウリングをしてきてどれだけやれるか試してみたいと思ったので受験を決断しました。

 すでにお伝えしたように、最も辛かったのは一次試験でした。大会未経験、キャリアの少なさから襲い掛かる不安と緊張は半端なものではありません。運命の初日、会場は品川プリンスホテルボウリングセンター。前日、ここでボール検量があり、そのあとレーンのコンディションを確かめました。そのイメージでスタート前の練習ボールを投げましたが、1球で頭の中が真っ白になりました。ボールが全く曲がらないのです。回転を強めにしても曲がらない。昨日のイメージが完全に吹っ飛びました。一発もまともなストライクがないまま練習ボール終了。絶対に初日にスタートダッシュを決めて残りの三日を逃げ切りたいと思っていたので、出てくる言葉は「どうしよう…」だけ。まるで解決策を見つけられないままプロテストがスタートしました。緊張で震えながら投じた記念すべきプロテスト第1投目は、一番ピンに薄く当たってラッキーなストライク。しかし、それ以降は全く安定せずに、前半の9ゲームを終わって180アベを切っていました。見事なまでのスタートダッシュ失敗です。何人かの知人が応援に来てくれましたが、私の顔は「助けてください!」と言わんばかりに泣きそうになっていました。昼休みに宮田俊輔プロが駆けつけてくれました。あまりにひどい成績に慰めの言葉も浮かばなかったようです。午後も難しいレーンの解決策を見出すことが出来ず、結局180アベで90人中35位という結果で初日を終えました。

 早くも追い込まれて迎えた二日目。会場は田町ハイレーン。ここは一度練習に来た際、10番ピンがあまり飛ばないイメージがあったので、粘りのボウリングに徹しようという作戦を立てていました。前回お話したように二日目までのアベレージが185を超えていなければ、三日目には進めません。この日、190アベを超えないと不合格になってしまうわけです。ただ、普段のボウリングが出来れば190くらいは打てる自信はありました。

 運命の練習ボールスタート。なんとボールが良く曲がり、ストライクが連発したのです。「これならいける」。粘りのボウリングではなく「攻める」ボウリングが出来ると確信しました。1ゲーム目、練習ボールのイメージ通りに攻めてストライクラッシュで240。見事なスタートが切れました。自信を持って迎えた2ゲーム目。5フレームまで順調な滑り出しで、200アベを超えるハイゲームが期待できました。ところが、この良い流れがプッツリと切れてしまう出来事が起こりました。ボールを外に出しすぎ、曲がり切れずにガターに落としてしまったのです。それはストライクの後で、きちんとスペアーを取っておけば何も問題なかったはずでした。しかし二投目は7本カウント。一気にスコアダウンです。この1投を境にストライクが全くでなくなってしまいました。ボウリングとは流れが自分に向いている時とそうでない時では、スコアメイクが大幅に変わってきます。良い流れの時は何も考えなくてもストライクが連発するのに、悪いときはいかに考えて投げてもピンが残ります。悪い流れが私を襲い、140〜160のスコアを連発。240スタートを切ったのに、前半9ゲーム終了時点で180アベと全く成績が上がらなかったのです。残り6ゲームで200アベを残さないと、プロテスト終了というところまで追い込まれ、足切りを覚悟しました。昼食も全くのどを通らず、青ざめた表情で昼休みを過ごしていました。その時、ふと携帯を手にすると一通のメールが。それは友人の女の子からでした。実は、前日のスコアの不甲斐なさを誰かに慰めてもらいたく思い、自分からメールしたのです。しかし、結局前日のうちに返信はありませんでした。この最悪な状況から助け出して欲しい、そんな思いでメールを開くと「35って35位ってことでしょ? マジすごいよ。自らを信じると書いて『自信』と読みます。がんばって」とありました。予想外の内容に驚きました。慰められるどころか、褒めてくれたのです。応援されているんだ。皆の期待を裏切るわけにはいかない。そう思わせてくれました。

 絶対にあきらめるわけにはいかない。

 心に誓い、午後の投球に向かいました。

 次回に続く


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〔2005/11/03更新〕

(文 正田晃也)

正田晃也のボウリングライフ(2)プロテスト奮闘記@


 こんにちは。第一回目のコラムは私とボウリングとの出会いを綴ってみましたが、いかがでしたでしょうか。一応、物書きを目指していた身(今でも目指してるけど)ですので、みなさんに出来る限り私のことを知ってもらえるように上手に書こうと思いましたが、なかなか難しいものですね。これからも何度か書いて、ボウリングの腕と同様にペンの腕も上達したいですね。

 さて、前回のコラムの終わりにプロテストのことについて感動物などと書いてしまったため、早くも執筆依頼が来ました(笑)。今回からプロテストについて、書いてみたいと思います。

 プロボウラー資格取得試験(プロテスト)は年に一回、三月から四月にかけて約一ヶ月間という長期間で行われます。試験は一次、二次、三次に分けられています。一次と二次が実技で三次が筆記と面接です。具体的には、一次試験は試験会場が東日本と西日本で分かれて二会場で行います。一日15ゲームを4日連続で投げて計60ゲームのアベレージ(スコアの平均、以下アベ)が195以上で一次通過という大変シビアなものです。しかも、二日目終了時点で185アベを下回っていた場合、三日目以降の受験資格が与えられません。会場センターも一日ごとに変わりますから、全く違うレーンコンディションで戦わなければなりません。二次試験は東と西で一次試験を合格した者が一同に集います。一次と同じく4日間60ゲーム195アベで合格ですが、二次は4日連続でない代わりに遠征があります。私は二次の二日目と三日目に大阪・神戸まで遠征しました。西日本の受験生は初日と最終日に東上するわけです。ちなみに一次の三日目はシチズンボウル、二次の最終日はビッグボックスでどちらも高田馬場にあり、ジャナ専のそばで行われていました。そして、長い長い実技試験に合格した受験生は三次の筆記試験・面接へと向かいます。

 簡単に書きましたが、これがプロテストの流れです。どの試験も辛く、苦しいものでしたが、中でも最もキツかったのが一次試験です。というのも、私はボウリング歴一年足らずで、大きな大会など出場したことが無く、他のセンターで大人数で競い合うというのはこのプロテストが初めてでした。まず、雰囲気に圧倒されました。プロの称号を得るために投げているわけですから、受験生の目は必死です。全員が自分より上手に見えて仕方がありませんでした。そういえば、昨年のプロテストで従兄弟の宮田俊輔プロが受験していた時に応援に行きましたが、会場の雰囲気は一言で表すと「死闘」でした。極度の緊張と疲労で受験生は青ざめた表情で投げていたのを覚えています。今年も一ヶ月間の長い「死闘」が展開されました。その中で、私はどのように戦ったのか、どうやって不安を乗り切ったか。次回、プロテスト奮闘記Aに続きます。


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〔2005/9/23更新〕

(文 正田晃也)

正田晃也のボウリングライフ(1)


 このページをクリックしてくれた皆さん、こんにちは。ジャナ専スポーツマスコミ科2年生の正田晃也です。ジャナスポをずっとご覧になっている方はご存知かと思いますが、今年3〜4月に行われた第44期生プロボウラー資格取得試験に合格することができました。

 私は、小さい頃から英才教育を受けているというのでも、両親がボウリングをしているから自分も始めたというのでもなく、実は、ボウリング歴は2005年8月現在でまだ1年半弱のキャリアです。遊びでは何回かボウリング場に足を運んでいましたが、本格的にボウリングを始めたのはジャナ専に入学してからです。というのも、地元の埼玉県秩父市にはボウリング場がなく、ボウリングをするには電車で一時間かかる飯能市まで行かなければなりませんでした。しかし、幼稚園の頃からテレビでボウリングを見るのが好きで、プロボウラーの名前を覚えたり、選手の投球フォームのマネを家族に披露したりしていました。普通の子供たちがプロ野球選手やサッカー選手に憧れるように、プロボウラーとは私にとってスーパースターでした。ただ、こんな大好きなボウリングを見ることしかできず、あまりにボウリングをする環境が周りには無かったため、ボウリング場のある街に住んでいる人たちを心底羨ましく思ったことをよく覚えています。

 昨年の4月、ジャナ専に入学することが決まり、故郷の秩父市から上京してきました。学生生活をするのにお小遣いは自分で稼がなければならず、従兄弟が働いているボウリング場でアルバイトをすることになりました。実は、従兄弟は昨年のプロテストに合格した宮田俊輔プロで、同い年で仲が良く、小学校時代には夏休みなどで一緒にボウリング場に行ったりしていました。ボウリング場には大勢のプロボウラーがやってきます。テレビで見たプロボウラーを生で拝見できることに感動しました。アルバイトを始めてから、仕事が終わればボウリング投げ放題という幸せな日々が始まったのです。これが私のボウリング生活のスタートでした。最初の頃は、従兄弟の使い古しのマイボールとマイシューズで、夢中で投げていました。アベレージが170くらいに上がったころ、リーグ戦に参加させてもらうようになり、たくさんのプロボウラーと投げる機会に恵まれました。今でもそのリーグ戦でプロとして投げさせてもらっています。

 と、簡単に私の自己紹介とボウリングとの出会いを書かせていただきました。もし、次に再び書く機会がありましたら、自分の実力アップの過程や、プロテスト回顧(感動ものです)などを書きたいと思っています。それでは。

〔2005/8/29更新〕

(文 正田晃也)


アメフト審判記

第5回 日本アメリカンフットボールの最高峰
Xリーグのシーズンが始まった!


 東京ドームで熱い戦いを繰り広げているのは、プロ野球のあの人気球団、読売ジャイアンツだけではない。9月は中旬を迎えるも、まだまだ暑い日が続く中、Xリーグのシーズンがスタートした。



9月13日(火曜日) 19時kick off <at>東京ドーム
アサヒビール・シルバースターvs学生援護会ロックブル


 9月13日火曜日、東京ドームでXリーグ(中地区)の試合が行われた。19時開始、平日のナイトゲーム。今まで観客として来ることはあっても、それ以外の用件でドームへ足を運ぶことはなかった。この日、アサヒビール・シルバースターvs学生援護会ロックブルに、審判の1人として試合に参加した。これで審判を務めるのも、公式戦2戦目を迎え、前回(関東大学2部リーグ・上智大学vs国士舘大学)同様、25秒計を担当する。

 試合開始1時間45分前、審判証の提示と荷物検査をされ、関係者入口から東京ドームの中へ入っていく。選手たちの控え室、報道陣の集まる部屋が所々にある、迷路のような構造に興奮しながら、無事審判控え室へたどり着く。途中で、筋肉隆々の選手たちとすれ違う。笑顔も見られ、リーグ開幕の緊迫感より、開幕戦を楽しみにした様子が窺える。

 控え室へ入ると、すでに7人もの審判員がユニフォームに着替え終わっており、テレビは大相撲の秋場所を映していた。ほとんどの人が社会人であり、平日のゲームに足を運ぶことは大変なはず。こんなに早い時間帯から準備万端な先輩方に敬意を表しながら、こちらも白と黒の縦じまのユニフォームへ急いで着替える。

 こちらもリラックスムードで、会話が途切れない。それが、試合開始1時間前を迎え、ミーティングの時間となると、一気に真剣な雰囲気に急変する。日本アメリカンフットボールの最高峰リーグの試合、それも、各チームの今後を占うかもしれない、開幕戦だけに、ミスジャッジは許されない。その状況がこの雰囲気を作り出しているのだろう。

 大学時代はチームのエース級だった選手が集結した、トップリーグである。両チームとも戦術は豊富で、相手選手だけでなく、観客、そして審判までも惑わす攻撃を展開してくる可能性が高い。審判はそれに混乱せず、冷静に対処しなければならないのである。

 そのために、ミーティングでは、各チームから試合前に極秘で知らされた、使うかもしれないスペシャル・プレーに対して、どう対処するかを、ルールブックと照らし合わせながら、真剣に話し合う。このように、他チームから知らされる重要な情報を漏らすことのない信用性も、アメフトの審判には求められる。他の団体球技と比べ、アメフトは、かなり難解で細かな決まりを多く持つ。それは、選手やコーチたちはもちろん、審判を長く務める者ですら把握しきれていないほどである。試合中は、判定を巡り、ベンチのコーチ陣や選手たちと言い争うのも、そのためである。それを少しでもなくし、ゲームをコントロールするために、試合前の審判同士のミーティングは欠かせない。

 ミーティングを終え、遂にキックオフの時間を迎える。初めて立つ、東京ドームの人工芝の感触に感動しながら、25秒計を操作する場所へ向かう。三塁線側の野球用ベンチのすぐ隣に設置された、少し高い位置にあるのがそれだった。今回は、前回のアミノバイタルフィールドで行われた試合とは違い、グラウンドから少し離れた建物からではなく、ピッチのすぐそばから試合が見られる。これがプロ野球の試合であれば、かなりの額であろう特等席であり、格闘技の試合であれば、リングサイド席にも値する場所だ。

 視線をスタンドへ向けると、決して多いとはいえないが、徐々に観客が入ってきているのがわかる。客層は、仕事帰りで、会社の同僚を応援しにきたと思われるスーツ姿のサラリーマン、選手たちの奥様と思われる若い女性といったのがほとんどであった。学生らしき集団や、カップルはほとんどいなかった。4万人以上もの観客を動員する、プロ野球の巨人戦と比べると、寂しい感じはするものの、しらけた雰囲気は微塵も感じさせなかった。

 観客を引っ張って、雰囲気作りにかなり貢献していたのが、各チームのチアガールたちだ。セクシーな衣装で、アップテンポな音楽に合わせながら、激しく、アクロバティックなダンスで、会場を盛り上げていた。常に笑顔で元気のいい声に、選手たちはもちろん、観客たちのボルテージも上がっていくのである。

 試合が始まった。平日のナイトゲーム、観客の人数に華やかなチアガール。そして、日本最高峰リーグの試合といった、前回とは違った状況に興奮し、緊張してくる。前回も観客はいたし、チアガールだっていた。しかし、観客席がホームスタンドにしかなかったアミノバイタルフィールドと違い、360度、全ての位置に席があり、3階席まである(この日設けられた席は1階席のみだったが)東京ドームのスケールの大きさが、人数以上の雰囲気を作り出す(この日、会場に駆けつけた観客の数は1944人)。チアガールにしても、ボリューム感のある音楽が、その状況を作る絶妙のスパイスとなっていた。

 しかも、前回は隣に試合時間を計る先輩タイマーの方がいて、色々アドバイスしてもらいながらやっていた。それが今回は、タイマーと25秒計は別々の所でそれぞれの任務を果たさなければならない。誰も自分を助けてはくれない状況も、緊張に拍車をかけた。当たり前だが、ミスは許されない状態である。

 それでも、前回と比べ、ピッチから近くなったおかげで、レフリーの出すレディー・フォー・プレーのシグナルをかなり確認しやすくなり、躊躇なく、すぐにタイマーを動かせるようになった。エンドゾーンの左斜め後ろに位置するだけに、ゴールの目の前に迫ってきた時の迫力は、観客席からでは味わえないものがある。パスが自分の所へ飛んできたらなんて、余計な心配をするほどの至近距離だ。

 そうはいっても、困ったことも当然、発生した。自分が位置する場所とは反対側のエンドゾーン付近のプレーは、さすがによく見えない。そんなときは、25秒計を動かすタイミングをレフリーのシグナルではなく、ホイッスルで判断する。しかし、その音が、チアガールの声とアップテンポな曲で、掻き消されそうになるのだ。しかも、試合が進むにつれて、観客のテンションも彼女たちにつられ上がっていく。選手1人1人に送る声援、好プレーを賞賛する声、惜しいプレ−に落胆する声も量を増していく。

 よりいっそう目も耳もゲームに集中させ、25秒計の仕事を遂行する。試合の雰囲気はシーンとしているより、騒がしいくらいの方がいい。それは、選手や観客だけでなく、審判をやってみても同じに感じた。むしろ、こういう状況で審判を務められる機会を大事にしなければと考えさせられた。

 試合は、昨季、中地区2位の好成績を収めたアサヒビールのペースで進んでいった。開始1分20秒で、アサヒビールは、RB#43伊是名隼人が先制のタッチダウン(TD)・ランプレーを決め、先制する(7−0)。会場のボルテージも、これで一気に上がった。

 学生援護会も反撃に出る。1Q開始6分、キッカー(K)・#7小山のフィールドゴール(FG)で3点を返し、3−7と追い上げる。両チームの応援がドームに響き渡り、ジャッジミスなどしたら、一気にこのいいムードが壊れてしまうというプレッシャーが湧いてきた。こういうときこそ審判は冷静にならねばと気を引き締める。

 前半は、その後アサヒビールが主導権を握っていく。2つのTDに1本のFGで、17点を追加し、その間、学生援護会を無失点に抑えた。24−3とアサヒビールが大きくリードしたまま、前半が終了する。何とか大きなミスを犯すことなく、前半を終えた。

 ハーフタイム。両チームのチアガールが華麗なダンスを観客へ披露している中、審判団は、前半の反省をするために、控え室へ戻る。前半終了間際に、試合時間を止めなくてはいけない場面で、時計を20秒ほど流してしまった以外に、これといったミスはかった。しかし、両チームのベンチからは、再三「ちゃんとホールディング(攻撃側の選手が、守備側の選手をつかんでしまうこと。また、守備側の選手が、パスプレーの時に攻撃選手をつかんでしまうこと)を取ってくれ」との抗議が殺到したとのこと。

 レベルが高くなればなるほど、審判の死角をついて巧みにファールを仕掛ける選手たちが多い。「たぶんつかんでいるだろうけど、俺のところからは見えないんだよね」。「つかんでいるのか、押しているだけなのか微妙なんだよなあ」。こんな声が上がった。審判陣の悩みの1つである。迷わず、ファールだと思ったらすぐにイエローフラッグを投げようということで、話しはまとまり後半戦を迎える。

 グラウンドへ戻ると、スタンドの観客が増えているように感じた。後半戦はもっと盛り上がる。すぐに試合の流れを大きく変えるビッグプレーが生まれた。後半開始僅か3分で、学生援護会は、#8吉田が23ヤードを走って反撃の狼煙となるTDを決めて見せる。これでスコアは10−24となり、試合の行方がわからなくなってきた。当然、学生援護会の応援もヒートアップしてくる。

 このTDは、審判である自分も、思わず拍手を送ってしまいそうになるほど、心揺さぶられるプレーだった。興奮してしまい、危うく25秒計を動かすのを忘れそうになる。こういった好プレーにも、審判は我を失うことなく、冷静に、そして中立の立場を守らなければならないと痛感させられた。まだ、たったの2試合だけだが、これでまた、審判の難しさが少しわかったきがする。審判という仕事が、スポーツを見る姿勢に、新しい視点を持たせてくれる。試合を観戦する時も、審判を見る態度が大幅に変わりそうだ。

 試合はその後、アサヒビールと学生援護会が交互に40ヤードを超すFGを決め合い、27−13でアサヒビールが前半のリードを守りきり勝利した。後半のジャッジには、これといった問題はなかったように見えたが、かなり細かいことについて意見を交わし、反省していた。特に、オフェンス側の仕掛けるブロックに対する判断については、見ている場所によっては、ファールに見えるが、そういったプレーが起こった時に、近くにいても、死角で見逃すことがあったとのこと。誰がそういったプレーをちゃんと見るのか。その難しい問題に、答えが出せずに苦労している姿に、審判の難しさが滲み出ている。

 審判とチーム側における、ルールの解釈のずれもあったようで、自分の知らないところで、かなり激しく言い合っていたことも、この場でわかった。

「いやー、すごい勢いで(タックルしに)突っ込んでくるやつがいて、思わず危ないって言いそうになったよ」。自分と同じく、好プレーに思わず観客の視点になってしまう先輩もいたようだ。次回はいよいよ25秒計ではなく、ラインジャッジ(LJ)としてグラウンドに立つ。先輩たちの姿を見ていると、実に困難な仕事であることがわかるだけに、かなりプレッシャーを感じる。しかし、この役割をこなすことで、さらに新しいスポーツに対する視点と、審判の心情といったものが理解でできるはず。そう思って頑張るしかない。

 最後に、帰り際の東京ドームの外であった光景を1つ。「この子が、アメリカンフットボールの選手をやっているのがわかるまで続けるんだって」。まだ乳母車に乗っている小さな子供を連れた、母親が嬉しそうにこう言っていた。おそらく、この試合でプレーしていた選手の奥様なのだろう。父親がアメフト選手として活躍する姿を見続け、憧れの念を抱く子供が、未来の有力選手に育っていってくれるのだろうか。なぜか、こっちまでもが嬉しくなるような、微笑ましい光景だった。

〔2005/9/29更新〕

(冨澤祥太郎)

第4回 秋の関東大学リーグ戦が開幕!


 9月になっても相変わらず暑い毎日が続く。しかし、秋はスポーツの季節。その名の通り、大学アメリカンフットボールもリーグ戦が開幕し、熱い戦いが繰り広げられる!



 9月3日、2005年関東大学アメリカンフットボール・2部(A、Bの2ブロック制で、1ブロック8チームの合計16チームで、A、B間の交流戦はなく、1校が戦う試合は7試合)のリーグ戦が、他のリーグ(関東は、1部から3部、その下にエリアリーグと呼ばれるリーグがあり、実質上4部構成になっている。リーグ戦後、上位と下位の成績を収めたチームが、昇格・残留をかけて、入れ替え戦を行う)より一足先に開幕した。場所は、サッカーのJ1に所属するFC東京と東京ヴェルディ1969のホームグラウンドである、味の素スタジアムに隣接した、アミノバイタルフィールドだ。

 新人審判の自分は、その翌日の9月4日、同じアミノバイタルフィールドにて行われた関東大学2部のリーグ戦・第1試合(11時キックオフ)、上智大学ゴールデンイーグルス(昨季2部・Aブロック3位)vs国士舘大学ライナセロス(同5位)のゲームで、初めて、通称「ゼブラ」と呼ばれる、黒と白の縦縞のユニフォームに身を包み、デビューした。

 アメリカンフットボールは、フィールド内に7人もの審判が配置されることからもわかるように、ジャッジが厳密である。それに加え、フィールド外にも2人の審判がいる。試合時間(関東大学1部・2部・3部は、12分×4クォーター、計48分)を計る者(いわゆるタイムキーパー)と、この日、自分が担当した「25秒計」だ。

 タイムキーパーの役割は、アメフトを知らずとも、どんなことをするのかわかるだろう。しかし、「25秒計」と言われて、ぴんとくる人は少ないはず。アメフトは、似ていると言われるラグビーと違って、野球のように攻撃側と守備側がはっきりと分かれており、攻撃権(4回)というものがある。その4回の攻撃のうちに、プレー開始地点から10ヤード前進すれば、新たに4回の攻撃権が与えられる(グラウンドは横に5ヤードごとにラインが引かれている)。

 そこで、攻撃側の1プレーが終わってから、次のプレーへ移る時に関係してくるのが、25秒計だ。審判(レフリー)がプレー再開のシグナルを出し、笛を吹いてから、攻撃側は25秒以内に次のプレーを開始しなければならない。そこで25秒以内にプレーを始めないと、攻撃側の反則となり、プレー開始地点から5ヤードの罰退となる(ディレー・オブ・ザ・ゲーム)。大抵、どのチームも、ベンチにいる者がこの時間を計っている。それだけに、審判のほうは、選手やコーチ陣から文句をいわれないように、しっかりとこの時間をカウントしていなければならない。そう思うと緊張してきた。

試合前の控え室での審判陣の風景。ピリッとした空気が流れる。
 試合前の控え室での審判陣の風景。ピリッとした空気が流れる。
 審判は、試合開始1時間45分前には、ユニフォームに着替えてなければならない。全員着替え終わると、今日の試合についてのミーティング始まる。まずは、ポジションの担当の確認をし、挨拶を交わして今日の試合の審判としての抱負を述べる。そして、各チームの主将、副将は誰なのかを、各自の(よくサッカーの主審が警告をする時、何やら書き込んでいるのと似た)カードに書き込む。

 試合をするチームが、ルールに引っ掛かるかもしれない、変則プレーを使ってくる可能性がある場合、事前に相手チームのコーチ陣からその旨を伝えられることもある。この試合はそういったことはなかった。ただ、ミーティング中、上智大学のマネージャーが、チーム事情を伝えに、審判控え室へやって来た。チームのオフェンスラインメンが不足しており、もし、そのポジションから怪我人が出たら、TEの選手が背番号51のジャージに着替えて、ラインメンとしてプレーするかもしれないとのこと。

 こうして、審判は試合中に起きるかもしれない不測の事態を少しでも減らすために、事前にこういった情報を提供してもらうことがある。つまり、チームにとっての重要な作戦や戦略、を知ることになる。だから、選手、コーチをはじめ、チーム関係者などと、安易にコンタクトを取ったりすることは厳禁だ。審判が軽い気持ちで喋ったことが、下手をすれば、そのチームの損失になるかもしれないのである。


〔2005/9/15更新〕

(冨澤祥太郎)

第3回 今季初合宿はのどかな避暑地にて


 <夏季合宿クリニック(7月9日、10日) 場所:清泉寮(山梨県)>

 東京のじめじめした、肌にまとわりつく湿気と、30℃をこす暑さにうんざりする人ごみ。そんな煩わしさとは無縁の地で、2005年初の審判合宿行われた。場所は山梨県の清里。実はこの地、日本のアメリカンフットボール歴史を振り返るのに、避けては通れない聖地でもあったのだ!



試合1時間前に、国士舘大学の選手たちがこの試合で使うボールを持ってきて、審判からチェックを受ける。
 試合1時間前に、国士舘大学の選手たちがこの試合で使うボールを持ってきて、審判からチェックを受ける。
 こんなことをじっくりと話し合い、いざ試合に臨む。スタンド席には、少ないながらも、必死に選手たちを応援する観客の姿が目に入ってくる。気候は9月になったとはいえ、この日もうだるような夏の暑さに、審判陣も顔が歪む。しかし、タイマー係二人は、幸運ことに、冷房の効いた実に快適な部屋で業務をこなすことに。試合時間の計測担当する先輩審判の村瀬さんに、ざっと操作方法を聞きながら、危なっかしく25秒計の仕事に没頭した。

「もうスタートだよ」。前半は村瀬さんにそう指摘される場面が多かった。緊張していることもあって、レフリーがどこにいるのかと焦ってしまい、プレー再開のシグナルを見落としたり、笛を聞き逃したりで、25秒計をスタートさせるタイミングが遅くなってしまった。思った以上に、フィールド内はゴチャゴチャしている。立場が変わるだけで、試合に対する見方がこうも変わってしまうことに驚く。選手時代には、フィールドの中でも、ベンチにいるときでも感じなかったことだけに、新鮮であった。

 試合は両チームとも堅実なディフェンスをみせ、チャンスを攻めきれず、得点が入らない。2Qに入って、ようやく上智大が先制のタッチダウンをあげ(6−0)、試合が動く。RB#44吉岡による、力強いランニングプレーで、エンドゾーンへ飛び込んだ。これで勢いに乗りたい上智大だが、トライ・フォー・ポイント(タッチダウン後に与えられる得点機会。ゴール前2ヤードより、攻撃側が1プレーすることを許される。キックでゴールポストを通過した場合は1点が、通常のプレーでタッチダウンを成功させれば、2点が入る。残り時間が少なく、2点取らないと追いつけないといった状況でなければ、大抵はキックを狙う)で、キックを失敗するなど、波に乗り切れない。

 そのまま、上智大が6−0のリードを守り、前半終了。緊迫した試合展開に、こちらも緊張しっぱなしであった。ハーフタイム中、グラウンドから戻ってきた審判陣は、全員汗だく。やはり、この暑さで、選手だけでなく、審判たちも、かなりスタミナを消費しているようだ。冷房の効いた控え室で、みんなキャップを取り、タオルで顔を拭き、水分を補給する。ここでも、レフリーの星野さんからも、「もっと早めに25秒計を動かして」と指摘される。そのことを意識して、後半戦へ臨む。

 3Q、国士舘大が反撃に出る。前半はあまり見られなかった、パスプレーが決まりだし、オフェンスが活性化する。そして、WR#81山田へのロングパスが通り、同点に追いつくタッチダウンを決めた(6−6)。更に、その後のトライ・フォー・ポイントのキックも決め、遂に7−6と逆転に成功する。上智大にとっては、前半のキック失敗が悔やまれる。

 どちらが勝つのかわからない試合展開に、わくわくし、自分が今、審判をしていることを忘れそうになる。そこをこらえ、前半先輩方に注意された、25秒計をスタートさせるタイミングを早くさせることに集中する。常に、レフリーの星野さんがフィールドのどこにいるのか探し出し、彼の出すプレー再開のシグナルと笛の音を確認しては、すみやかに25秒計を作動させた。さすがにだいぶ慣れてきたが、それで集中力を欠いてはいけない。試合は僅か1点差で、タッチダウン(6点)どころか、フィールドゴール(3点)でも逆転可能なだけに、どちらに試合が転ぶかわからない。前半以上に試合へ集中する。

 国士館大が1点のリードを保ったまま、試合は最終の第4クォーターへ。ここで、追い上げたい上智大の反撃をかわすように、国士舘大が追加点となるフィールドゴールを決めてくる。これでスコアは、10−6となり、国士舘大が点差を4点に広げた。

 それでも、タッチダウンが1つでも決まれば逆転できるだけに、上智大は諦めずに攻めていく。試合残り時間が1分に差し掛かったところで、上智大は国士舘大のエンドゾーンまであと5ヤード近くというところまで攻め込んだ。ここから4回の攻撃権全て使って逆転のタッチダウンを狙うも、成功せず。国士舘大が必死の守りでこの危機を凌いだ。攻撃権が移り、国士舘大が残り時間を自陣エンドゾーン前で消費し、試合が終了した。結局10−6で国士舘大が見事に勝利を収めた。

 最後の上智大の攻めには、思わず体を乗り出しそうになるくらい、惹きこまれた。しかし、今の立場は観客ではなく、審判。私的感情に流されてはいけない。しっかりと中立の立場を守る。

 試合終了後、審判陣でこの日の反省会を行った。レフリーの星野さんは、「試合全体を長引かせてしまい、申し訳ないです。次はもっと、試合全体をテンポよく進めてきたいと思います」と、この試合を振り返った。そして、フィールドでホイッスルを吹いた全員から聞かれた反省点が、暑さで、最後の方は動けてなかったとのこと。その他にも、「反則をとるべきかと躊躇することが多かった」。「シグナルを出すときはもっとはっきりさせなくては」。正直、自分は余裕がなくて、フィールドでジャッジをくだしていた7人の状態がどうなのか把握できてはいなかった。それでも、こんなに反省することがあるのかと思うほど、意見がたくさん出てきた。

 25秒計を担当した自分には、「今日の出来では、合格点は与えられないな」と、厳しい評価を下された。本当に反省しきりである。「審判というのは、全体的によかったではいけない。1つのミスも許されないものなんです」。サイドジャッジを担当した佐藤さんの発したこの言葉に、審判が試合で果たす役割の厳しさと責任を実感させられた。

 次回は、9月13日火曜日に、東京ドームで行われるナイトゲーム(19時キックオフ)で、また25秒計を担当する。日本最高峰のアメリカンフットボール・リーグ、Xリーグのシーズン戦だけに、気合を入れなければならない。対戦カードは、アサヒビール・シルバースターvs学生援護会ROCBULL。今度は合格点をもらえるようがんばらなければ。

周囲は牧場や博物館などが多い。
 周囲は牧場や博物館などが多い。
 乗り換え4回、片道4時間40分。鈍行列車に揺られ、大都会・東京から山梨県清里の地にたどり着いた。小さくて、どこか趣のある清里駅。周囲は、観光客を対象としたこの町の名産物等が並べられた土産物屋があるぐらいで、とりわけなにかがあるわけでもない。

 送迎バスに揺られ、2日間お世話になる清泉寮へ到着する。しかし、現地へ着いて、まず感じたのは、のどかな自然風景、車の通りが少なく、広々とした感じのする道路といったこと以上に、空気がひんやりと冷たいこと。さすがは高地、東京のようなじめじめした暑さとは正反対で、とても涼しい。天気が曇りがちなのが残念なところ。今にも雨が降りそうである。正午を過ぎたばかりとは思えない天気だ。

 思った以上に多くの観光客が清泉寮に訪れていた。ご年配の方々の一行から、小さなお子さんを連れた家族の方々といったところが大半だ。カップル率はあまり高くなかった気がする。近くの広々とした牧場では子供たちがはしゃぎ回るなど、周囲は賑やかだ。もっとしんみりとした場所だろうと思っていただけに、少し予想外であった。

 ただ、困ったのは、始めは涼しいと思っていた風が、徐々に肌寒くなってきたこと。半袖では正直きつく、長袖がほしい。用意する必要はないだろうと思ったのが失敗だった。

日本にアメフトを伝えたポール・ラッシュ博士の銅像。視線の先には富士山が遠くそびえる。
 日本にアメフトを伝えたポール・ラッシュ博士の銅像。視線の先には富士山が遠くそびえる。
 清泉寮の前には、1934年に日本へアメリカンフットボールを紹介したポール・ラッシュ(1897年〜1979年)博士の銅像が建てられている。どうやら、富士山に向かって立っているとのこと。ポール博士が初めて来日したのが1925年。当時28歳で、東京と横浜にYMCAを再建するためだった。1938年、博士は、日米の青年活動及び、BSA指導者訓練場として、この地に清泉寮を建設した。

 様々な障害を乗り越え、清里の地に“キープ”(Kiyosato Educational Experient Puroject=清里教育実験計画)を立ち上げた。キープとは、キリスト教に基づいた、「他者への奉仕の理念」と「日米は常に友人でなければならない」との思想の元に、50年の歳月を費やして築き上げた青少年教育、農村振興などを目的とするプロジェクトである。つまり、日本のアメフトの父であり、清里の発展に尽くした人物ということになる。

 寮から少し離れた森の中には、かつて彼が住んでいた大きな家が、今も当時の形を維持した状態で残されている。そこに併設されているのが、「ポール・ラッシュ記念センター」だ。彼が清里の地に残した功績と、アメフトの伝道師としてどのような役割を果たしてきたかの歴史が記されている。入場料は大人500円と、決して高い値段ではないだろう。和でもあり、洋でもあるポール博士の家は必見だ。日本にどのようにしてアメフトが伝わり、普及していったのかもここに来ればよくわかる。アメフト以外にも、ラクロスなど意外なスポーツも彼が日本に伝えている。全国中学野球大会の復活にも力を貸すなど、スポーツ全般においても、数々の功績を収めているのだ。

木造立ての自然な感じがおしゃれな清泉寮。家族連れの観光客が大半。
 木造立ての自然な感じがおしゃれな清泉寮。家族連れの観光客が大半。
清泉寮内のポール・ラッシュ記念センターまでの道のりを示す。
 清泉寮内のポール・ラッシュ記念センターまでの道のりを示す。
日本にラクロスを伝えたのもポール・ラッシュ。(記念館に展示)
 日本にラクロスを伝えたのもポール・ラッシュ。(記念館に展示)
アメフトの防具の進化についての展示も。左から順に進化していった。
 アメフトの防具の進化についての展示も。左から順に進化していった。
米国ではアメフトを題材とした映画が多い。日本でも強豪・日本大学アメフト部(チーム名はフェニックス)をモチーフにした映画(マイフェニックス 1989年)が存在していた!(写真右上)出富田靖子、宍戸開らが出演。
 米国ではアメフトを題材とした映画が多い。日本でも強豪・日本大学アメフト部(チーム名はフェニックス)をモチーフにした映画(マイフェニックス 1989年)が存在していた!(写真右上)出富田靖子、宍戸開らが出演。
記念館を示す看板。
 記念館を示す看板。
記念センターの正面玄関。真ん中の写真の「最善を尽くせ そして一流であれ」の言葉を送るのがポール・ラッシュ博士。
 記念センターの正面玄関。真ん中の写真の「最善を尽くせ そして一流であれ」の言葉を送るのがポール・ラッシュ博士。

 13時半、寮で一番大きなホールに、この日の審判合宿に参加する者が集まった。その数は50名近く。上は六十代から、下は大学を卒業して間もない20代の者と、年齢にはかなりのばらつきがあり、一つの世代に固まっていない。そうはいっても、新人審判は、10人足らず。この中では、明らかに少数派である。

 まずは、今年から新たにルール変更された項目について。約1時間に渡って説明が行われた。特に重点的に解説されたのが、正当なクリッピング(ボールを持った選手以外の者に対して、後ろからブロックしたり、背後から腰より低い位置に対してブロックする反則)の制限と、フィールドゴール時の守備側の反則について。ここまでは、自分が、選手としてプレイしていた時と比べ、かなり変わったなあという程度だった。しかし、これ以外の項目については、よくわからず、そんなルールあったの? という具合である。

 サッカーやバスケットボールと比べ、ルールが複雑と言われるアメリカンフットボール。なるほど、下手くそなりにも経験者である自分でも、正直理解していないことが多々ある。審判としての認識不足を実感させられた。

真剣さと笑い声が交錯する合宿初日の勉強会。ポール博士の油絵(画面右上)がその風景を見つめる。
 真剣さと笑い声が交錯する合宿初日の勉強会。ポール博士の油絵(画面右上)がその風景を見つめる。
 早速、わからないことだらけで、困っている自分をよそに、10分の休憩時間をはさんで、テストが行われた。穴埋め問題に、記述式、選択問題、○×問題という形式で、問題数約30問近く。第一問目から、いきなり度肝を抜く質問が登場する。「ティー(サッカーでいう直接フリーキックに当たるフィールドゴールを狙う際に、ボールを地面にセットする時に使う道具)は、ボールの最下端がグラウンドから<>インチ離れてはならない」。答えは2インチで。こんなことまで知っていなければならないのかと、思わず、顔が引きつってしまう。そんな自分を察知したかのように、「まあ、私も半分近くできませんでしたから」と、笑いながら先輩から慰められる。「でも、カンニングはいけませんよ! 違反したものは有無を言わさず坊主にします」と釘を刺すことも忘れない。二十分ほどで、テスト時間は終了。恐怖の答えあわせと解説の時間へ。

 結果は、案の定、ぼろぼろである。自己採点だったのがせめてもの救いだ。穴埋めと記述はほとんどできなかった。知っているようで、上手く説明できないことばかりで、中には、まったく知らなかったこともあった。審判の任務は〜で始まる(答え:コイントス。ちなみに、自分はキックオフと答えた)なんていうユニークな問題もあった。もう一つ驚かされた設問が、各語の定義を説明しろという記述問題。説明する語は「キャッチ」。ボールを取ること。そう答えるしかなかった。しかし、これでは、アメフトの審判をする者の説明としては不十分とされた。模範解答は以下の通り。「空中にあるライブボール(どちらのチームにもボールの保有権がある状態)を取ること」。審判への道のりは長い…

 テスト後も、1時間半に渡って審判の各ポジションについての注意事項が説明された。次から次へと意見や質問が飛び交い、活気がある。しかし、新人である自分は全くついていけない。とても長い1時間半だった。

 18時になって、この日の勉強会が終わった。全員、自分の部屋へ移動する。だいたい一部屋五人。自分の部屋にも、計五人の審判が寝泊りする。上は60歳から下は24歳。親と子ほどの年齢差だ。果たして話が噛み合うのだろうか。

 自分以外にも、新人があと一人いる。残念ながら、昨季1部から2部へ降格してしまったが、長く1部の常連として鳴らした強豪校、東京大学アメリカンフットボール部(チーム名はウォーリーヤーズ)OBの大谷さんだ。自宅が文京区本郷と聞き、もしやと思ったら、案の定、出身校は東大だった。この日、その自宅からバイクで山梨は清里の地に駆けつけた。途中で大雨に見舞われ、寮に着いた時には泥まみれになっていた。現役時代のポジションは、オフェンスラインと聞き、驚かされる。身長は180センチ近くあり、筋肉質で、首もしっかりしてはいるが、どちらかというと細身に見えた。今でこそ70`まで体重を落としたが、ウォーリーヤーズ時代は、100キロ(!)もあったという。

 19時になり、夕食を兼ねた懇親会が始まった。グラス片手に料理にかぶりつく。しばらくして、新人審判の自己紹介の場が設けられた。出身校、現役時代のポジション、そして、なぜか彼女がいるかどうかや、現役時代の審判にまつわる苦い思い出を答えさせられた。新人7人の中で彼女がいたのは、1番最初に自己紹介した東京外国語大学出身の工藤さんだけという悲しい事実が判明してしまった。しかも、工藤さんのポジションは、新人の中で唯一のクォーターバック(QB)。アメフトの花形ポジションだ。おまけに男前である。なるほど、いないわけはないと、会場中も納得である。

 酒が入り、周囲のテンションが高くなり、大盛況の中、21時に懇親会が終了。しかし、ここから、2次会へ移行する。予想外に料理が大量に残り、二次会のつまみへと化ける。話の中心は、ベテラン審判の現役時代のことや、自分の審判経験について。みんな、アメフトが大好きであることを痛感させられる。

「もう30年もアメフトの審判やってるけど、始めは、(プレイヤーとして)体が反応しちゃってね。パスが飛んできたら取っちゃったりしてたよ。タックルしたこともあったなあ」。アルコールが全員の口を滑らかにさせる。話題はどんどんアメフトの話へ。

 アメフトは反則が起きると、審判がイエローフラッグと呼ばれる黄色いてるてる坊主のような布の塊を、グラウンドへ投げ入れる。今年、審判二年目の大沢さんが言う。「自分は、イエローフラッグがどうも投げづらいんです」。すかさず先輩審判がこう返す。「躊躇はしちゃだめだよ。堂々としてないと選手になめられるし、信頼されなくなるから。強いチームになると、あの審判はファールを取らないとか研究しているしね」。なるほど。審判は誤審をしてはいけなが、それ以上に自信を持って試合を裁かなければならない。

「強いチームの選手は、ファールをするのも上手いんだよ。流れの中でさりげなくやるからこっちも思わず流してしまう。弱いチームは、あからさまなんだ。本人はこれぐらいいいじゃないかって思ってるだろうけど、程度の問題じゃないんだよね」。自分が現役時代に、納得いかないファールを取られた話をすると、そう答えてくれた。

 宴会は深夜2時まで延々と行われた。明日もあるということで、ようやくこの宴もおひらきとなった。明日は、9時からまた勉強会が始まる。

 合宿二日目(7月3日)、全員朝食を8時半まで済まさなければならない。みんなちゃんと起きてこられるのだろうか。心配は杞憂だった。さすがは、ほとんどが社会人という集団。時間に遅れてくる者は皆無である。しかも、昨日あれだけ飲み食いしたにもかかわらず、全員食欲旺盛だ。バイキング形式なのをいいことに、朝からかなり食べる。

 9時になり勉強会が始まる。まずは、今日から合流した者のために、昨日行われた新ルールと変更事項の説明が1時間行われた。昨日からいる者にしたら、内容が重複するが、真剣に話しに耳を傾けるどころか、昨日出てこなかった疑問点などを議論するなど、活気がある。

 それを終えると、今度は今年のライスボウル(学生ナンバーワンと社会人ナンバーワンが正月に東京ドームで対戦する試合)、立命館大学パンサーズvs松下電工インパルスの試合のビデオを見ながら、審判の各ポジションの役割やポジショニングについてを学んでいく。画面の中の審判が下すジャッジを、誉めたりけなしたりと笑い声が起きれば、納得のいかない判定や、新人たちにも見習ってほしい場面が出てくると、それを何回も見るなどメリハリがある。2時間近くを費やし、ああでもない、こうでもないと議論が交わされる。新人も早く、この議論に少しでもついていけるよう、頑張らなければと思い知った。

 これで、夏の審判合宿の全日程が終了。昼食を終えると、それぞれが、明日から再開するいつもの生活へ戻っていく。夏が終わり、8月になれば、すぐに大学生の秋のリーグ戦が一斉に始まる。公式戦デビューもそう遠くない新人たちは、4部構成の関東大学リーグの3部、もしくはエリアリーグ(4部に相当)に所属するチームの試合を担当することになりそうだ。選手としてアメフトの試合に臨んだ大学生時代は、まさか審判を務める何て思いもしなかった。人生何があるかわからない。そう思いながら電車に揺られ、東京へ戻っていった。

〔2005/7/28更新〕

(冨澤祥太郎)

第2回
アメリカンフットボール新人審判フィールドクリニック


 昨日の夕方から降りだしたスコールのような雨が嘘のようだ。6月5日(日曜日)、天気は青空の広がる晴天だった。この日、東洋大学・朝霞キャンパスにて2005年度、日本アメリカンフットボール協会関東審判部による、新人審判養成のクリニックが行われた。

 東武東上線・朝霞台駅から歩くことわずか10分、目的地に到着した。周囲は緑豊かで、人ごみばかりの東京の都心とはかけ離れた穏やかな場所だ。

 東洋大学が、埼玉県朝霞市を教育の場としたのは1977年。2005年からライフデザイン学部という新たな学部を設け、校舎をリニューアルしたとあって、新鮮味がある。

 そんな雰囲気のいい場所で、ホームの東洋大学、ビジターの東京農業大学、大東文化大学の3校による練習試合を舞台に、新人審判が修行をさせていただく。

 集合時間は11時。場所は講義棟(2号館)の209号室だ。普段は、朝霞キャンパスの授業、実験、実習の要として機能している。中へ入っていくと各大学の選手たちが、試合に向け、あちこちでスタンバイしている様子が目に飛び込んでくる。入念にストレッチをする者。マネージャーにテーピングを巻いてもらっている者。どの選手も引き締まった顔をしている。廊下に置かれているヘルメットやプロテクターが、戦いが始まる前の静けさを感じさせてくれる。練習試合とはいえ、かなりぴりぴりとした空気が伝わってくる。それでも、目が合えば、全くの赤の他人である自分にも大きな声で挨拶をしてくれるのだ。選手だけでなく、選手のためのスポーツドリンクやテーピングなどの用意にと忙しく動き回るマネージャーたちも同様に。はつらつとしていて気持ちがいい。思わずこちらも失礼のないようにと挨拶を返す。

 予定時刻の約20分前に教室へ到着。早くも先輩審判の方々が、白と黒の縦縞で通称「ゼブラ」と呼ばれるジャージに身を包んでいた。笑い声交じりの会話が飛び交い、選手たちとまるで正反対の空気が流れている。定刻が近づくにつれ、新人審判たちが姿を現していく。この日、集まった新人の数は13人で遅刻者はなし。「結構多いなあ」。先輩審判の間からも驚きの声が漏れる。

 時計の針が11時を指し、早速、教室内でミーティングが始まる。まずはルールブックを片手に、試合中よく使うジェスチャーの確認。全員立ち上がって、手を交差させてタイムアウトのシグナルをしたり、時計開始の腕を大きく回すシグナルをしたりと、異様な光景が繰り広げられた。

 続いて、7人もの審判がフィールドに立つアメリカフットボールのそれぞれの役割についての説明だ。アンパイヤ(U)、レフリー(R)、ラインズマン(L)、ラインジャッジ(LJ)、バックジャッジ(BJ)、フィールドジャッジ(FJ)、サイドジャッジ(SJ)。試合時間は誰が管理する(SJ)のか、キックオフ時は誰がキッキングチーム(U、BJ)を見みて、レシーブチーム(L、LJ)を見たりするのかなど。そんなに審判っていたか。自分も大学時代は、一応プレイヤーとしてグラウンドに立っていたはずなのに、そんな具合である。いろいろ説明されても、正直イメージが浮かばない。途中、やたらと質問する人もいたが、自分はそれどころではなかった。

 この日、新人は1グループ3人程度で、各ポジションを回していくことになった。自分の最初に任された配置はLJ。

 あっという間に1時間が過ぎ、ミーティングは終了。昼食の時間となり、海苔弁当とシュウマイ弁当の2種類が用意される。不安で食事も喉が通らない。それでも、時間は無常に過ぎていく。試合開始は13時だ。おそるおそるグラウンドへ足を運ぶ。

 外は暑さを増しており、立っているだけでもフラフラする。しかし、審判陣よりも先にグラウンドでアップ練習を始めている選手たちはもっと苦しいはず。この炎天下にヘルメットをかぶり、上半身にはプロテクターを着込むと熱がこもり、かなり暑くなるのだ。 それでも、選手たちは大きな声を掛け合い、自分たちのチームを鼓舞していく。ヘルメットとヘルメットがぶつかり合う音が、暑さにひるみそうになる気持ちに鞭を打ってくれた。彼らの闘志がひしひしと伝わってくる。

 13時を回り、遂にキックオフ。試合は合計3試合で、1試合12分ハーフで行われる。 第1試合は、東洋大vs大東文化大。この試合、新人審判は先輩方のジャッジを、後ろで説明を受けながら見させてもらうことになった。LJのポジションに入って、まず思ったことは、思った以上によく動くということ。プレー開始地点の延長上のサイドラインに位置し、プレーが始まったらすぐにそれに合わせて動かなければならない。

 この時、ライン上でぶつかりそうになるのが、各チームのベンチ陣なのである。興奮してサイドラインぎりぎりまで出てくる、フィールドの選手たちに指示を出すコーチ、味方を叱咤するチームメイト、スコアをつけるマネージャーといった具合だ。自分も選手だった時は、そうだった。

 白熱した第1試合はすぐに終わり、早くも第2試合の東洋大vs東京農業大の試合が始まる。今度は、実際に新人もフィールドでジャッジを行うことになった。基本的なことは、第1試合で先輩の動きを観察してわかった気でいたが、実際に入ってみるとかなり慌ててしまった。

 アメリカンフットボールはラグビーと違い、オフェンス側に4回の攻撃権が認められている(この辺が野球っぽい)。その4回の攻撃のうちに10ヤード(アメフトはフィールドに5ヤードごとに線がひかれている)前進すると、新たに4回の攻撃権を獲得できる。LJはサイドライン上でオフェンス側のプレーを追い、何ヤード進んだかを判定する。

 すぐ後ろで、先輩が親切に的確な指示をしてくれたから助かったようなもの。気合が空回りし、プレーを追い越してしまうことが多々あり、「そんなに必死に追いかけなくていいよ。プレーは後追いで十分だから」とアドバイスを受ける。緊張のせいか、 第1試合と違い、第2試合はかなり長く感じられた。

 いよいよラストの第3試合は東京農業大vs大東文化大。わからないことだらけで、しかも炎天下ということもあり、新人審判の表情には疲労感が滲む。ここで、先輩審判が新人を励ます。「みんな水分をきっちりとってくれ。これでラスト。できるだけ多くのポジションに入ってもらうよ」。手渡されたボトルの水を口へ運ぶ。生ぬるく、消毒液の臭いがする。それでも、普段飲む水より一段と喉を潤してくれる。

 この試合は、前半はラインズマン(L)、後半は(SJ)としてジャッジした。この日は、LJだけやるものと考えていただけに、頭は真っ白でただただ業務をこなすだけになってしまった。そのせいなのか、予想以上に早く試合が終わってしまったように感じた。  これで解散ではない。これから教室に戻って、今日の試合を、審判がどのように進めていったかをビデオでチェックする。その時間はおよそ1時間で、睡魔との闘いだった。先輩審判は色々笑いながら、ここはああすべきだったとか楽しそうだが、新人は、説明されてもただ頷くことしかできないといった様子だ。

 不安で何がなんだかわからないまま、この日の新人フィールドクリニックは終了した。反省としては、あまりにも自分が準備不足だった。ルールブックをもっと読み込まなければいけない。秋のリーグ戦までは、フィールドに立つのに恥じない状態になろうと痛感させられた。

〔2005/6/14更新〕

(冨澤祥太郎)

第1回 審判道・アメリカンフットボール編


 何でこんな場所に? 2005年5月22日日曜日、関東学生アメリカンフットボール連盟にてアメリカンフットボール新人審判クリニックが行われた。何と、それは味の素スタジアム内に置かれていた。J1に所属するFC東京と東京ヴェルディ1969のホームグラウンドである。

 しかし、あまり知られていないだろうが、味の素スタジアムで行われるのはサッカーの試合だけではない。アメリカンフットボールの試合もやっているのだ! 関東大学No1を決定する大会、クラッシュボウルの決勝戦(2003年から)は、味の素スタジアムで開催されている。また、高校No1を決める大会、クリスマスボウルも、今年は(関東と関西で交互に開催)同競技場で行われる。

 京王線の飛田給駅から徒歩5分という交通アクセスのよさ。道のりも単純で初めての人でも、あまり迷わずにたたどり着けるだろう(と思っていたら、予想外の展開が、この後起きてしまう)。しかし、関東学生フットボール連盟は、少し分かりづらい場所にある。というのも、駐車場の真っ只中に、これといった表示もなくポツンとしている。アメリカンフットボールの格好をしたポスターが数枚貼られているだけなのだ。

 (ホントにここでいいのか?)おそるおそる扉を開けると、そこには職員の方々が2、3人。「新人審判クリニックの方は、こちらでよろしいでしょうか?」。弱気に尋ねると女性の職員の方が、親切に案内してくれた。開始時間は14時(終了は16時)である。時計の針はちょうど5分前を指していた。すでに10数人のルーキーたちが集まっている。顔ぶれは様々で、年齢層はかなりばらけているようだ。社会人として、もうバリバリ働いてます! 妻子持ちです! という雰囲気の人もいれば、大学を卒業したばかりで、社会人というよりまだ学生にしか見えない初々しさに満ちている人もいる。いかにも、アメフトやっていたという体つきとオーラを放っている人、とてもやっていた風には見えない細身の人などと、バラエティーに富んでいる。

 新人審判の資格には規定がある。今日、この場に集まった人たちのほとんどは、関東学生連盟に所属する大学のアメリカンフットボール部のOBである(”ほとんど”というのは、他ならぬ筆者が、部を4年の頭で辞めているので、必ずしも完全なOBでなくてもいいようだ)。まず、大学在籍者であってはいけない(大学院生は可。留年して5年生以降? を迎えている者は対象外)。そして、チームスタッフ(監督、コーチ)でもないこと(競技団体等の役員は兼任可)。各月に最低3日以上の審判員としての活動日を提供する。永続性のあること、などといったことも含まれる。連盟に加盟して21年以上のチームからは2名以上、6年以上20年以下のところは1名を、審判として学校のOBから派遣しなければいけないことになっている(そうしないと、チームがリーグ戦に参戦できないという!)。

 席に着くやいなや、一気に7枚もの資料とルールブックを渡された。(これ全部に目を通すの?) 軽い気持ちで臨んでいいただけに、正直、面食らった。14時を回り、いざ、クリニック開始! と思いきや、早速トラブルが発生する。遅刻者4名! 役員の方々の携帯電話に連絡が入る。どうも、道に迷っているらしい。結局、全員集まるにのに時間がかかり、開始時間は30分程遅れた。「はじめての方は分かりづらいかもしれませんが、皆さんもう社会人なのですから、その辺は自覚を持って早めに来るなどしてください」。役員からも不満の声が漏れる。なんとも幸先の悪いスタートとなった。

 それでも、いざクリニックが始まると、周囲は締まった。「チームの監督さんから、1年だけでいいからいってこいといわれた人も多いかもしれませんが、そういう人は今すぐ帰っていただいても構いません」。いきなり釘を刺してきた。もちろん、そう言われて帰る人は一人もいない。

 そして、いよいよ本題へと入っていく。ますは、夏までのおおまかなスケジュールが発表された。

6月5日(日曜日) 11時:新人審判フィールドクリニック
(場所)東洋大学・朝霞グラウンド
(内容)東洋大学、大東文化大学、東京農業大学の3校による練習試合
7月9日(土曜日)、10日(日曜日) 夏季合宿
(場所)清里清泉寮
 ちなみに、どちらも参加が強制されていない。しかし、参加しなければ「(秋の大学)リーグ戦でぶっつけ本番になってしまいます」という役員の言葉は、ぐさりと胸に刺さる。妙な緊張感に部屋が包まれる。差し入れのお茶やせんべいも、すっと喉を通らない。軽いノリでやることは許さん。そんな無言の圧力と審判としての心構えを説かれ、休憩時間へ。濃い40分だった。

 トイレ時間をはみ、5分足らずで後半開始。内容が一転する。試合をやるにあたり、審判が何人必要で、それぞれがどんな役割・ポジションを担うのか。曖昧にしがちなルールの注意点などを、具体例を挙げながら説明してくれた。試合は、原則7人制で行われる(6人制、5人制の場合もあり)。

 内訳は、レフリー、アンパイヤ、ラインズマン、ラインジャッジ、バックジャッジ、フィールドジャッジ、サイドジャッジの7人となっている。この中で、新人はアンパイヤ以外の全ての役割をやる可能性があるとのこと。

 ルールの面では、実際にアメリカンフットボールをやっていた者でも、間違っていることの多い点を指摘された。その1例。アメリカンフットボールはラグビーと違って、攻撃と守備が野球のように分かれている。攻撃側は4回の攻撃権を持っており、その間に10ヤード以上前進すれば、新たに4回の攻撃権を得ることができる。フィールドは、5ヤードごとに線が引かれ、それが目安となっている。オフェンス側の、ボールを持って前進する選手が、タックルなどで倒されると、そこでプレイが一旦途切れ、そこからプレーを再開する。その際に膝を突きながらも、ヤードを稼ごうとボールを持った手を伸ばした場合、開始地点はどこになるのか? 膝を突いた位置か? それより前なのか? 細かい点が多くある(この場合、開始地点は膝を突いた場所ではなく、伸ばした手の先にある楕円形のボールの最先端が、プレーの開始地点となる)。筆者は大学でアメリカンフットボールをやっていたが、正直、その辺を曖昧にしており、その日はじめてそのことをはっきりと知った。何となくボールが基準と思いながらも、確信はしていなかった。

 そんなこんなで、初めての新人審判クリニックは、予定時刻の16時に幕を閉じた。外へ出ると、ここへ来るまでの夏のような暑さと強い日差しが嘘のように、空は曇り、雨が降っていた。筆者の拙い説明に、アメリカンフットボールそのもののイメージが沸かないなど、分かりずらいことが多々あったと思う。申し訳ない! 次回は6月5日の新人審判クリニックの模様をお伝えするので、乞う、御期待を!


 (余談)週刊少年ジャンプで現在、アメリカンフットボールの漫画が連載されている! 題名は「アイシールド21」。高校のアメリカンフットボールをを舞台にしており、同誌で同じく人気連載中の「テニスの王子様」同様、小中高生を中心にかなりの人気を誇っているとのこと。今年(2005年)4月から、東京テレビでアニメ化もされている(水曜・19時よりO.A.)。アメリカンフットボールをよく知らないけど、これを見てちょっと興味を持ったというという方、もしくは、こんな記事どうでもいいけどアメリカンフットボールそのもに興味を持ったという方、是非、参考にしてみては?

(冨澤祥太郎)

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